2017年11月4日(土)
PM0:30
夢のようだった昨日のことを振り返りながらのんびりと起きた僕とゆきピー。
今日はこれからバイクを借りてチェンマイ中心部から少し離れた場所に住む
首長族
に会いに行きます!
昨日参加したイーペンランナー・インターナショナル2017の様子はコチラ
さて、まずは僕だけ宿を出発しレンタルバイク屋さんを探しに行きます!
旧市街をウロウロすること約15分
こちらのレンタルバイク屋さんを発見!
そして借りたバイクが
こちら!
125ccで24時間レンタル(確か)250バーツ(約850円)
バイクの準備が整ったところでサクッと準備をして、2時前に
出発!
目的地である首長族がいる村までは約20キロ。
安全運転で参ります!
旧市街付近は交通量が多いのでこんな感じで渋滞してます!
割り込みの仕方もワイルドです。笑
そんなこんなで旧市街を抜け、走ること30分。
小腹もすいてきたので休憩がてらランチタイムに!
こちらゆきピーが頼んだジンジャーチーズバーカーとポテト。124バーツ(約420円)
タイの物価からしたらちょい高め。
バーガーはこんな感じ。うまし!
こちらはよく分からないけど美味しそうだったから僕が頼んだ丼もの。コーラとセットで77バーツ(約260円)
お肉自体は美味しかったのですが上にかかっているツブツブの食感がどうも嫌で頑張って取り除きながら食べました。笑
ご飯も食べ、大好きなコーラも飲めたところで運転再開!
そして走ること約15分
首長族が暮らす村に到着!
村の入り口で入場料を払います。一人500バーツ(約1700円)
早速敷地内へと進んで行きます!
入り口に近い場所にはおみやげ屋さんが並んでいます!
小さな子どもたちがいました!
ただ、ここは一旦スルー。笑
すると、集落らしきものを発見!
奥へと進んでみると
アナ雪ガールのお出迎え!
思いのほかポップな服を着ていますが、首には首長族のトレードマークであるリングをはめています!
遂に首長族に会えたー!!!
世界一周前から写真で見たり、知人が会っていた首長族に自分たちも会えてテンションが上がる僕とゆきピー!散策を続けます!
かわいい赤ちゃんとお母さんと一緒にお土産を売っている女の子。
てかお母さん、やはり首が長く見えますね!
話しかけるとキラキラな笑顔で返してくれる女の子。
一緒にパシャり!
よく見たらこの女の子の服もアナ雪!流行っているのでしょうか。笑
無邪気に遊ぶ男の子。
お土産の布の陰からひょっこりはん!笑
お土産を売っているその場ではた織りをしている姿を見かけることもしばしば!
この女の子はお母さんのお手伝いをしていました!
ぐんまちゃんも混ざって記念撮影!
ここは子どもたちに勉強を教える場所として使われているそうです!
トウモロコシを頬張る坊や。
トウモロコシを鼓笛隊の指揮者のように扱いながら行進し始めたアナ雪ガール!
凛々しく歩いています!
その後ろをついていく弟(多分)。
穏やかな時間が流れます。
そんな中ふと聞こえてきた日本語。
こうやって動物園みたいに晒し者にされて、ひどいもんっすよね!
まあ、俺も写真撮りますけど!はは!
声の聞こえてきた方を振り返ると、僕たちより少し若そうな男子二人が歩いて通り過ぎていきました。
首長族はカレン族とも呼ばれ、タイの北部からミャンマー南部にかけてミャンマー南部にかけて居住していた民族だそうです。
元々昔からカレン族が住んでいた場所が政府の国有地化やミャンマーの内戦によって住めなくなり、大半がタイへ移住し、タイの国籍を持ったりタイの教育を受けたりして生活しているそうです。
そんな中、
首長族の容姿が観光商品の一つになっていて、首にリングをはめていると政府から生活費の支給がある。
とか
金儲けをしたい人が村に連れてきて閉じ込めている。
とか
ミャンマーから来て生活費を稼ぎに来ている。
なんて情報が書かれている記事も見かけます。
そしてそのような環境を
人間動物園
と例える人がいます。
これらの情報が真実なのかどうかもわからないし、僕には正直それらの真相を知る術はないのだけれど、
カレン族(首長族)が元々暮らしていた環境が奪われ生活が苦しくなった
のは本当のことだと思います。
それを踏まえた上で彼女たちは腹をくくって、覚悟を決めて、トレードマークであるリングを首にはめ、訪れた人たちと接しているのだと思います。
自分たちのことを知ってもらうために。
家族を守るために。
生き抜くために。
そんな彼女たちの覚悟を、思いを、踏みにじるような発言はしてはいけないはずなのに。
なのに。
その人たちが暮らしている、その場所で。
蛇口を捻れば水が出て、食べ物は大量に廃棄されるほどありふれ、当たり前のように電気が使え、義務として学校で教育を受けることができ、収入が少なければ生活保護さえもらえる日本という国で生まれ育ったであろう若者が。
彼女たちが決して教わることがなく、理解できないであろう、日本語で。
彼女たちが理解できないからといって、目の前でそんなことを口にしてしまう行為その行為に痛烈な虚しさを感じ、
キラキラした目で笑う子どもたちに、ごめんね、と、心の中でいうことしかできませんでした。
生きる。
ということはどういうことか、真摯に向き合い考える人が日本に、そして世界に一人でも増えたらいいな。
と、改めて思った瞬間でした。
続く。